荒廃地への植樹の取組み

平成27年1月23日、27日第4回みどりの森植樹祭植栽地の整備を行いました。

今回の植栽地はみどりの森で最も高い丘180㎡とその丘をとりまく斜面280㎡です。

[丘の上の整備]   [丘の斜面の整備]  [階段を設置]

みどりのまちづくりグループは平成15年以来毎年春日井市内この様な荒廃した土地を整備し植樹を続けています。
荒廃した理由は天災や人災でありますが我々祖先は数千年に亘り森林に頼って生活して来ました。
自然と共生してきたのです。
でも度々共生を忘れ森林を乱伐し荒廃させてしまいました。
山が荒廃するとどうなるのか。
はげ山の出現です。
ここで、我々先輩たちがこの荒廃に如何に立ち向かってきたか振り返りたいとおもいます。


 はげ山は一木一草も無く、山骨をむき出したすさましい景観を呈したものであって、その状態を明治初期には、崩壊決裂と表現していました。
大雨になると土砂を一度に押し出して川を埋め尽くしてしまいます。


荒廃地への植樹

  (1)明治~昭和の取組み

明治30年以前渓流に土堰堤を築設して、はげ山からの流出土砂を抑止し、堤内に貯水し、樋管を敷設して併せて灌漑に使用する工事方法がとられました。
春日井市東部丘陵地の築水池にその時代の原型が見られます。
しかしあまり効果がなかった様で明治30年以降砂防的林業と称してクロマツやヒメヤシャブシの苗木を混植しました。
当時の文献では「県下(愛知県)従来の土木的なる砂防法の如きは、その効うすきが故に、更に林業的工事をもって実施せり」とあり、この方法は「はじめは冷評されたが竣工状態ははなはだ美観となるをもって、皆、予想外に出で、初めてはげ山も回復せしむるに治療法あるを知りたるもののごとし」と記しています。

以上様々な努力により昭和初期には、一応はげ山対策は成功を見ました。
しかし、第二次世界大戦の戦中、戦後にかけて開墾、乱伐、盗伐によって流域の殆どが裸地化してしまいました。
その後、昭和40年に入って森林法等により、伐採や下草採りが制限され、次第に植生が回復し、現在では、アカマツ、クロマツ、コナラ、アベマキ、モンゴリナラ、ソヨゴなど高木層を形成し自然林化が進んでいます。

以下は今の春日井市神屋町、廻間町のはげ山と普及の貴重な写真(愛知県森林協会 治山21世紀への道より)です。

[坂下村廻間字神屋 [同左明治38年 [昭和26年
穂洞明治36年        (1905)9月   (1951)2月]

(1903)施工前    施工後2年]

[坂下村廻間字馬不入     [明治42年(1909)
明治41年 (1908)施工前]    施工後1年]


荒廃地への植樹 

  (2)みどりのまちづくりグループの取組み

みどりのまちづくりグループが10年間春日井市のどんな荒廃地に植樹を行い現在どのようになっているか、主な植栽地を紹介します。

1、みろくの森にどんぐり植樹

みろくの森の東海豪雨崩落地に平成15年から18年まで4年間で1、000本のどんぐりの苗木を子供達と植樹、以来現在まで年2回の下刈等育樹を行っています。
この活動は、崩壊した山を復旧すると共に、植林した落葉広葉樹(コナラ、アベマキ)の落ち葉が腐葉土になり保水力豊で、生物多様化した空間をつくることです。

[崩壊地]         [平成26年緑が甦った崩落地]

2、頓明どんぐり植樹

みろくの森と同じく平成12年9月の東海豪雨で崩壊した1,000㎡に、平成19、20、21年の3年間で一般募集の親子延べ250名と430本のどんぐり(クヌギ)の植樹を行いました。

  [平成12年崩壊地]    [平成26年の現況]

3、大谷川源流右岸の花壇、左岸植樹

平成19年3,11月大谷川源流左岸2,300㎡に地元の小学校、近隣の子供達とみろくの森の植生である、ヤマボウシ、ヤマザクラ、ウツギ、シデコブシ等13種の野生種、1,000本を植樹しました。
ここは、市道を通る車から不法投棄、ポイ捨てのゴミ捨て場となっていたところです。
現在ポイ捨てはなくなり右岸の癒しの花壇と一体となり素晴らしい景観に散歩者が多く立ち寄ります。

[平成19年第1回大谷川  [今は季節になると見事に花を

植樹祭前の右岸、左岸]   咲かせてくれます] 

4、みどりの森づくり

愛知県の自然公園に指定されていながら昭和の時代に産業廃棄物が投棄された地で荒廃のまま放置された約1haを平成24年3月第1回として、25年第2回、26年第3回の植樹を行いました。(27年第4回)

[平成23年12月葛、  [第1,2,3回植樹された植栽地

ススキ、等の枯れ草に  (Google航空写真)]

覆われた植栽地]